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女傑・ウオッカを生んだ、カントリー牧場 48年の歴史に幕を閉じる。

昭和38年・北海道・静内郡・静内町(現・日高郡・新ひだか町)に、タニミズ企画の当時の社長で、谷水雄三氏の父・谷水信夫氏により開設され、タニノハローモア・タニノギムレット・ウオッカを生産した、すでに、解散し、清算された、メジロ牧場・オンワード牧場と共に、名門牧場の1つでもある、カントリー牧場が、今年の3月末・生産部門と、女傑・ウオッカの母・タニノシスターなどの繁殖牝馬および、1歳馬を、岡田スタッド(岡田牧雄・代表 株式会社・ノルマンディーサラブレッドクラブ・ノルマンディーレーシングの経営母体牧場。)に、育成部門を千代田牧場と、いずれも同じ、北海道・日高郡・新ひだか町内にある生産・育成牧場に譲渡されて、48年の歴史に終止符を打ち、閉鎖されました。

カントリー牧場を設立した当時、繁殖牝馬を多く所有しており、この中から、昭和43年(1968年)の日本ダービーなど8大競争を制覇した、タニノハローモアが、当牧場の代表産駒として重賞競争を制覇するなど活躍しました。

昭和47年・創設者・谷水信夫氏が、交通事故でなくなった後、カントリー牧場の運営は、息子の雄三氏に引き継がれ、いろいろ試行錯誤の末、タニノギムレット・ウオッカの、2頭の馬が、父娘・東京優駿大競争(日本ダービー)制覇を成し遂げました。

特に、女傑・ウオッカ(VODKA)は、64年ぶりに、日本ダービー制覇を成し遂げ、安田記念を連覇したり、ヴィクトリアマイル・ジャパンカップなど、日本競馬に大きな貢献を果たした、すっぴんできれいな鹿毛の馬で、2006年の最優秀2歳牝馬を総なめにした他、2008・2009年の年度代表馬・最優秀4歳上牝馬にも連続して選定され、2007年には特別賞にも選定されるなど活躍しましたが、2010年3月4日(日本時間・3月5日)・ドバイ メイダン競馬場で行われた、マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド3(8着)を最後に、鼻出血症がもとで、惜しくも現役を引退しました。

すっぴんで、かわいい鹿毛の馬・女傑 ウオッカ(VODKA)は、2010年4月1日(日本時間・4月2日)から、アイルランド・キルディア州・ギルタウンの、アガ・カーンスタッド・ギルタウンで繁殖牝馬として繋養生活を送っていて、現在に至っており、2011年に初年度産駒・ウオッカの2011を難産の末無事に出産したのを始め、今年の4月24日には、1年目産駒・ウオッカの2012をアガ・カーンスタッド・シュシェーンで、安産で出産しており、今年の4月4日(日本時間・4月5日)で、牝・8歳の牝馬になっており、今後も更なる繁殖牝馬として活躍を期待したいと想い、願っているところです。

なお、女傑・ウオッカは、2011年度の顕彰馬に、現役引退後・選定されており、表彰されております。

その後、菊花賞で、ビックウイークが制覇を果たして以降、重賞勝ちを果たした馬は出なくなった事、馬主の谷水雄三氏が、今年・72歳の高齢になったことから、これ以上の牧場運営・生産活動は難しいことから、同年の2月16日・東トレーニングセンターで行われた記者会見で、カントリー牧場の解散・閉鎖・清算を決め、競走馬の自家生産事業から撤退することになりました。

3月末・昭和38年の開設から、48年に渡り、競走馬の生産・育成を行ってきた、有限会社・カントリー牧場は、生産部門と、女傑・ウオッカの母・タニノシスターなどの繁殖牝馬及び、1歳馬を岡田スタッド、育成部門を千代田牧場と、いずれも、同じ、北海道・日高郡・新ひだか町内の牧場に譲渡され、48年の歴史に終止符を打ちました。

今後、谷水雄三氏は、個人馬主としてアイルランドで繁殖牝馬として送っている、女傑・ウオッカ及び、初年度産駒・ウオッカの2011・ウオッカの2012の2頭の仔馬(父・シーザースターズ)を所有するなどとして競馬活動に取り組んでいく様です。

昭和38年(1963年)の開設以来、48年間、競走馬の生産・育成を行ってきた、カントリー牧場は、ついに歴史の中に消えていきました。
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by bouquetfragrance | 2015-08-07 17:00 | 生産牧場
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