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HAT TRICK=ハットトリック



2001年4月26日に、北海道・追分町(現・安平町)の追分ファームで、サンデーサイレンスと、トリッキーコードの仔としてうまれた、トリッキーコードの2001は、1歳市場で、6800万円の値をつけられた、青鹿毛の馬です。

当初・斎藤四方司氏が、購買したが、間もなく、キャロットファームの所有馬になりました。

馬名も、サッカー用語で、1選手が1試合で、3得点以上を挙げることを意味する、ハットトリックに決まり、命名されました。

ハットトリックは、3月下旬に行われた、産地馬体検査を受検、同時に、美浦・清水美波厩舎と預託契約をかわし、2004年・東京競馬場の未勝利戦で、デビューしましたが、ラジオたんぱ賞(G3)・9着後の、放牧休養の間に、栗東・角居勝彦厩舎に転厩し、関東馬から関西馬になりました。

関西馬になった、ハットトリックは、ナリタブライアンメモリアルを手始めに、清水ステークス・東京新聞杯と制覇した他、2005年11月20日に、京都競馬場で行われた、マイルチャンピオンシップを制覇しました。

2005年12月11日・香港・シャーティン競馬場で行われた、香港マイル(G1)に、種牡馬として、現在も、活躍している、アサクサデンエンと一緒に参戦した、ハットトリックは、2着のザデュークを抑えて優勝、海外遠征制覇を果たしました。

それが、ハットトリックの、最後の勝利レースとなりました。

通算成績・8勝(内・1勝が、香港で挙げたもの。)を挙げた他、ドバイワールドカップ・デューティーフリー(12着)にも参戦する為、ドバイにも遠征しています。

こうした功績により、2005年の、JRA賞・最優秀短距離馬にも、選定されました。

その後、ハットトリックは、2007年の4月14日に阪神競馬場で行われた、読売マイラーズカップに出走し、6着に終わった後、安田記念出走に向けて、調整されていました。

ところが、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊にある、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)など、海外の牧場から、南アフリカとアメリカを半年ごとに行き来する、シャトル種牡馬として、繋養生活できるよう、種牡馬としてスタッドインしてほしいというオファーに、馬主の、キャロットファームが応じ、所属する、角居勝彦厩舎(栗東)と、今後の対応に付いて、協議した結果、5月7日に現役引退を発表、5月10日付で、競走馬登録を抹消、山元トレーニングセンターでの、出国検疫検査をへて、飛行機で、種牡馬として、繋養生活を送る、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊にある、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)に向けて出発、二度と戻ることのない、日本を後に離れて行きました。

現在は、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊にある、WALMAC FARM LLC(ウオルマックファーム)で、種牡馬として、送っているほか、ここを、拠点として、オーストラリアの他、2009年の3月からは、半年間の限定で、アルゼンチンの、Haras El Malin(エルマリン牧場)でも、シャトル種牡馬として繋養生活を送っており、今年の4月26日で、牡・9歳になったところです。

2007年の6月・ハットトリックは、ウォルマックファームに到着し、着地検査を受けた後、Hat Trick(Jpn)と掲げた厩舎に入りました。

「ヒュヒュヒュヒュ~ン!」

ハットトリックは、鋭いいななきで、厩舎の居心地をたしかめていました。

ウォルマックファームのスタッフに連れられて、放牧場に来た、ハットトリックは、手綱を離すと、蹄を鳴らして、走りだしました。

パカ、パカ、パカ、パカ、パカ。

ハットトリックは、広い、ウォルマックファームの放牧場を、駆けて行きました。


「ブルルルルルルルル、ヒュヒュヒュヒュヒュ~ン!」

ハットトリックは、ケンタッキー州の青空に、大きい雄叫びで、いななきました。


「モグモグ。」

ハットトリックは、ケンタッキーの青い草を、たくさん食んで行きました。


「ウー。」

ハットトリックは、放牧場で呻き声を鳴らしていました。

「ボトボトボトボト。」

ハットトリックは、ウオルマックファームの放牧場に、大きいうんこを落として、体を整えていました。

夕方・ハットトリックは、放牧場を後に、厩舎に戻りました。


ハットトリックは、餌を与えてやると、美味しいそうに食んで行きました。

ハットトリックは、サンデーサイレンスを父に、トリッキーコードを母に持つ、全身青鹿毛の男馬、大きく、逞しく、大きな功績を残してほしいという願いが込められている、青鹿毛の男馬、それが、ハットトリックです。

2008年、ハットトリックは、美しい、綺麗な青鹿毛の馬に育ちました、この年から、種牡馬生活をスタートしました。

初年度は、120頭に種付けを行いましたが、その後、受胎が88頭にとどまるなど、種付けたのは70頭に減りました、その為、半年間、オーストラリアの、インディペンデントスタリオンズに渡り、種付けを行っています。

2009年・8歳になった時に、ハットトリック待望の初年度産駒が、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊にある、ウォルマックファームで、2月に第1号・エイプリルグリーンの2009(母・エイプリルグリーン・2月9日(日本時間・10日))と、第2号・ノーコメントの2009(母・ノーコメント・2月24日(日本時間・25日) )を、出産しました。

その後、5月19日には、ハットトリックの第3号産駒で、本邦唯一の初年度産駒・プロポーズトゥーミーの2009(母・プロポーズトゥーミー ウォルマックファーム(アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊)で種付けた牝馬。)が、村田宗将牧場(北海道・日高郡・新ひだか町・三石)で、生産されました。
(その後、10月に行われた、HBAオータムセールで、バローズの猪熊広次氏(東京都)が購買されました、競争名も、アンソニーバローズ(人名+冠名)に決まっています。)

この年の、3月には、アルゼンチンのエルマリン牧場に、半年間の限定で、シャトル種牡馬として繋養生活を送っており、牡・9歳の青鹿毛の馬に成長した現在でも、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊にある、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)を、拠点として活躍しており、南アフリカでのシャトル種牡馬としての繋養生活も予定されている、青鹿毛の馬・ハットトリックの、今後の活躍を期待したいと想い、願っています。
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by bouquetfragrance | 2010-06-30 23:53 | 往年の競走馬

VODKA=ウオッカ 

アイルランド・キルデア近郊の、アガ・カーンスタッド・ギルタウン、ここに、女傑・ウオッカが、現在・繁殖牝馬として、繋養生活を、送っています。

美しく、すっぴんで、綺麗な鹿毛の女の子の馬・それが、女傑・ウオッカです。


2004年4月4日・北海道・静内郡・静内町(現・日高郡・新ひだか町)の、カントリー牧場で、1頭の、仔馬が、タニノギムレットとタニノシスターの間に生まれました。

それが、女傑・ウオッカです、この時は、タニノシスターの2004として、生産されました。


女傑・ウオッカは、雄大な北海道の日高地方の大地で、幼年時代を過ごした、かわいい牝馬として、送りました。

2005年・1歳の時、女傑・ウオッカは、ジンよりも、アルコール度数の高い酒・ウオッカに因み、命名されました。


2006年・2歳の逞しい牝馬に育った、女傑・ウオッカは、この年の3月下旬・産地馬体検査を受検、同時に、栗東・角居勝彦厩舎と預託契約をかわしました。

美しく、綺麗な、鹿毛の女の子の馬・女傑・ウオッカは、この年の、10月29日・京都競馬場の、新馬戦(メイクデビュー・京都)・1着で、鮫島克也騎手の騎乗で、競走馬デビューを果たしました。

2戦目の、黄菊賞では、四位洋文騎手に乗り替わって参戦しましたが、2着に終わり、初の敗戦を帰しましたが、3戦目の阪神ジュヴェナイリーフィリーズでは、直線で先に抜け出した、アストンマーチャンを抑えて、差し切り勝ちを収め、初のG1制覇を成し遂げたのです。

女傑・ウオッカは、この年の、JRA賞・最優秀2歳牝馬に選定されました。

2007年・3歳になった、女傑・ウオッカは、緒戦のエルフィンステークスで勝利を収めたが、続く、チューリップ賞でも、クビ差で1着となり、2連勝としたが、桜花賞では、ダイワスカーレット(現在は、繁殖牝馬として活躍中)の2着に敗れたが、5月27日に東京競馬場で行われた、第73
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回・東京優駿(日本ダービー)では、1996年のビワハイジ(こちらも、現在は、繁殖牝馬として活躍中・ブエナビスタの母でもある。)以来、11年ぶりに牝馬として出走し、馬群の中団から抜け出して優勝、牝馬としては、1943年のクリフジ以来、64年ぶりに、日本ダービーの優勝馬になりました。

第48回・宝塚記念では、8着と初の大敗を帰してしまいました。

女傑・ウオッカは、その後、秋の、凱旋門賞に出走を懸けて、ステップレースのメルヴェイユ賞にも出走を予定していたが、右後肢の蹄球炎を発症したので、出走を取りやめたのです。

第12回・秋華賞に、女傑・ウオッカは、出走させたが、最後はダイワスカーレット・レインダンスをかわすことが出来ず、3着に敗れた他、第32回・エリザベス女王杯でも、右関節のハ行により、出走を取りやめたのです。

女傑・ウオッカは、その後、第27回・ジャパンカップにも出走したのですが、4着に終わり、続く、第52回・グランプリ・有馬記念では、ファン投票で第1位にも選ばれたのですが、早々と11着と2回目の大敗を帰した他、JRA賞・最優秀3歳牝馬の座も奪われてしまったが、第73回・東京優駿(日本ダービー)で、64年ぶりに牝馬としての優勝馬に輝いたのが選考理由で、JRA賞・特別賞を受賞をしたほか、関西競馬記者クラブ賞の特別賞を受賞しました。

2008年・4歳になった、ウオッカは、京都記念から始動したが、6着に終わったのです。

この頃、ドバイ・ワールドカップ・ミーティングに、招待の承諾を受けて、ドバイ・デューティーフリー(4着)に参戦する為、初の海外遠征に乗り出し、今年の3月4日のマクトゥーム・チャレンジ・ラウンド3R(8着)まで、参戦する事になったのです。

日本に帰国した、ウオッカは、ヴィクトリアマイルに参戦したが、エイジアンウインズ(現在は、繁殖牝馬として繋養生活中。)の、2着に敗れたが、第58回・安田記念に、サクラチヨノオー以来、東京優駿(日本ダービー)優勝馬の出走参戦となり、2着のアルマダを抑えて、1994年のノースフライト以来、14年ぶりに牝馬が制覇を果たしたのです。

毎日王冠では、スーパーホーネットの2着に敗れたが、天皇賞・秋では、ダイワスカーレットと2頭並んでのゴールインとなりましたが、写真判定の末、2cmの差で勝利し、ヒサトモ以来、東京優駿(日本ダービー)馬の勝利を果たしたのです。

ジャパンカップでは、スクリーンヒーローの3着に敗れたが、次の有馬記念は2年連続で、ファン投票1位に選ばれたウオッカだったが、同競争を回避したのです。

2008年のJRA賞では、年度代表馬・最優秀4歳以上牝馬に、ウオッカは、初めて選ばれたのです。

5歳になった、2009年のウオッカは、ジェベルハッタ(5着)及び、ドバイ・デューティーフリー(7着)に参戦する為、再び、ドバイへと遠征したのでした。

帰国後・5月17日のヴィクトリアマイルに直行で参戦、1番人気に支持された、女傑・ウオッカは、前回のエイジアンウインズの2着の悔しさをバネに出走、2着のブラボーデイジーに、7馬身の差で、レコードタイム勝ちを決めました。

6月7日の安田記念にも、女傑・ウオッカは、2着のディープスカイを抑え、差し切り勝ちで優勝、1952年・1953年のスイートスー(女優・高峰美枝子さんの持ち馬として有名です。)以来の安田記念連覇を達成したのです。

その後、毎日王冠・第140回・天皇賞・秋と、カンパニー(今年から、社台スタリオンステーション・早来で、種牡馬生活入りし、現在に至っている・マイルチャンピオンシップの優勝馬で、2009年のJRA賞・特別賞・受賞馬。)の、2・3着に敗れたが、11月29日に行われた、第29回・ジャパンカップに出走した、女傑・ウオッカは、鞍上を、クリストフ・ルメール騎手(フランス・2005年の、第50回・グランプリ・有馬記念では、ハーツクライで、優勝騎手にもなっている。)に、交代させての参戦となり、2着のオウケンブルースリーを、写真判定の末、鼻出血を起こしながら、1着となり、優勝、7冠馬に輝いたのです、それが、女傑・ウオッカが勝利した、日本国内での最後のレースになりました。
(女傑・ウオッカは、その後の発表で、鼻出血という疫病を、競走中に発症したので、1ヶ月間・出走出来ないことになり、有馬記念は出走不可になり、回避されました。)

2010年・6歳になった、女傑・ウオッカは、2009年のJRA賞・年度代表馬・最優秀4歳上牝馬に、2008年に続いて選出され、受賞しました。

その頃、女傑・ウオッカは、ドバイ・ワールドカップ・ミーティング 2010に、招待承諾の上、参戦遠征し、3月4日に、メイダン競馬場で行われた、マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド3に出走させました。

ジャパンカップに続いて、クリストフ・ルメール騎手の騎乗で、出走させた、女傑・ウオッカ、しかし、伸びを欠き、レッドディザイアの8着に敗れたのです、レース後、微量ながら、2度目の、鼻出血を発症したので、結局・ドバイ・ワールドカップ 2010を回避する事になりました。

美しく、綺麗で、すっぴんな女の子の馬・女傑・ウオッカは、今年の、3月4日に、行われ、レッドディザイアの8着に終わった、ドバイ・ワールドカップ ミーティング 2010 マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド3が、ラストランレースとなりました。

カントリー牧場の代表で、株式会社・タニミズ企画の代表取締役社長・谷水雄三氏は、管理厩舎で、預託契約をかわしている、角居勝彦厩舎(栗東)と、女傑・ウオッカの今後の対応について協議した結果、重賞競走も制覇し、JRA賞・年度代表馬などにも選出され受賞するなど活躍したことから、勇退させた方がいいと判断し、3月7日・現役引退を発表しました。

すっぴんな、かわいい女の子の馬、女傑・ウオッカは、繁殖牝馬として繋養生活を送ることが決まり、海外の牧場も含めて探した結果、アイルランド・キルデア近郊のギルタウンにある、アガ・カーンスタッド・ギルタウンに決まり、すでに、3月13日に遠征先の、ドバイを出発、イギリス・ニューマーケットのサウスフィールズステーブルで1泊した後、ホーリーヘッド港・2時50分発のフェリーで、アガ・カーンスタッド・ギルタウンのある、アイルランドに向けて出発、競走馬生活に別れを告げ、後にしました。
(女傑・ウオッカの、競走馬登録抹消は、手続きの関係上・3月18日となりました。)

現在は、アイルランド・キルデア近郊の、アガ・カーンスタッド・ギルタウンで、繁殖牝馬として、女傑・ウオッカは、繋養生活を送っています。

3月16日の朝・8時30分に、繋養先の、アガ・カーンスタッド・ギルタウンに到着した、女傑・ウオッカは、馬運車を降り、着地検査を受けた後、曳き運動をして体作りに励んだのです。

2010年4月4日・女傑・ウオッカは、牝・6歳の牝馬としての誕生日を迎え、成長しました。

6月4日(現地時間・3日)に、女傑・ウオッカは、初年度の交配相手で、凱旋門賞優勝馬の、シーザスターズと、過去2回は交配したものの、不受胎に終わっていましたが、今回・3度目の交配種付けで、無事・受胎が確認され、成功しました。

来年の4月には、女傑・ウオッカ待望の、初年度産駒が、無事・出産する予定です、初年度産駒(父・シーザスターズ・母・ウオッカ)は、日本に逆輸入され、競走馬として育成後、栗東・角居勝彦厩舎所属で、デビューする予定です。

すっぴんな、鹿毛の女の子の馬で、JRA賞・年度代表馬・最優秀4歳上牝馬に、連続して選ばれた、女傑・ウオッカ、アイルランド・キルデア近郊・ギルタウンの、アガ・カーンスタッド・ギルタウンで、繁殖牝馬として、生活を開始した現在・待望の、初年度産駒(父・シーザスターズ)の、来年の4月に、無事・出産し、輩出して行く日々を、心待ちにしています。
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by bouquetfragrance | 2010-06-25 06:17 | 往年の競走馬