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ミスターシービー 競走馬デビューから 30周年。

トウショウボーイとシービークインの仔として、1980年4月7日に、北海道・浦河郡・浦河町の、岡本牧場で、千明牧場の名義で生産され、2000年12月15日に、牡・20歳で死去した、グッドルッキングホース・ミスターシービーが、来年の11月6日で、東京競馬場で行われた、サラ系3歳新馬戦・1着で、競走馬デビューを果たしてから、30周年を迎えます。

想えば、30年前の、1982年(昭和57年)11月6日・東京競馬場のサラ系3歳の新馬戦に、ミスターシービーは、ゼッケン11番で出走、ジョッキーは、2006年9月11日に、胃癌の為、64歳で息を引き取った、吉永正人騎手(死去時は、美浦トレーニングセンターで、調教師として、吉永正人厩舎を開業し、運営していました。)で、当時・美浦・松山康久厩舎に所属し始めた、ミスターシービーは、4月に入厩し、連日・調教されていました。

ゲート試験も合格し、いよいよ、11月6日・ミスターシービーの、競走馬としてのデビュー当日を迎えました。


ところで、ミスターシービー(Mr.C.B.)の父・トウショウボーイ(TOSHO BOY)と、母・シービークイン(C.B.QUEEN)は、共に、昭和51年(1976年)に、東京競馬場の新馬戦で、奇しくも競走馬としてデビューを果たしています。

東京競馬場の本馬場に、ミスターシービーは、入場し、返し馬に入って行きました。

ファンファーレと同時に、新馬戦のゲートインがはじまり、11番枠ゲートに、ミスターシービーは、収まりました。

係員が離れると同時に、ゲートがオープンし、ミスターシービーの、サラ系3歳新馬戦のスタートが、切られました。

「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ」

ミスターシービーは、いい蹄を鳴らして、東京競馬場の芝コースを走り、直線コースに向き、先頭に立ったのです。

ミスターシービーは、2着のヒラタカエイコー以下を抑えて、見事に、ゴール板を駆け抜け、1着となり、初勝利を収めました。

「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒヒ~ン。」

ミスターシービーは、大きい勝利のいななきを鳴らし、初の勝利を鳴らしました。

記念撮影に入り、ミスターシービーは、無事に写真撮影を終えました。

検査施設に入った、ミスターシービーは、大きいおしっこを、出しては、検査筒にいれていました。

ミスターシービーは、出張厩舎に戻って、たてがみを揺らしながら、鼻息を、ブルルルルルルルル、ブルルルルルルと、鳴らし、過ごしていました。

こうして、雄大な、北海道・日高山脈の大地で生まれ、育まれた、グッドルッキングホース・ミスターシービー(Mr.C.B.)は、競走馬として、無事にデビューを果たしました。

あれから、30年が、過ぎました。


雄大な、北海道・日高山脈の大地で生まれ、育てられた、グッドルッキングホース・ミスターシービー(Mr.C.B.)は、その後、黒松賞を制覇、ひいらぎ賞で初の敗戦を帰したものの、1982年(昭和57年)の、最優秀3歳牡馬に選出されたのをはじめ、共同通信杯4歳ステークス(現・共同通信杯)・報知杯弥生賞・皐月賞・日本ダービー・菊花賞と、3冠レースを制覇、シンザン以来19年ぶりに3冠を達成するなど活躍、5歳には、天皇賞・秋を制覇して、4冠を達成するなど活躍、1985年(昭和60年)4月29日に京都競馬場で行われた、天皇賞・春で、シンボリルドルフ(こちらも、3冠馬としたの初め、7冠馬としても活躍した。)の5着を最後に、骨膜炎がもとで、惜しくも現役を引退、同年10月6日に東京競馬場で行われた、引退式では、レコードタイムで優勝、4冠を達成した時の、ゼッケンナンバー13番(単枠指定馬)で登場、多くのファンに惜しまれつつ、ターフを去りました。

ミスターシービーは、1986年(昭和61年)2月から、北海道・勇払郡・早来町(現・安平町)早来源武275番地の社台スタリオンステーション・早来で、種牡馬として送り始め、1991年からは、レックススタッドに移り、シャコーグレイドなど、多くの産駒を輩出、1999年の秋の種付けシーズンを最後に、種牡馬を引退、翌年の2000年からは、千葉県・成田市・本城の千明牧場・三里塚分場で功労馬として、同年の12月15日に、牡・20歳(人間に例えれば、60~70歳前後)で、死去するまで、余生を送っており、その間、1983年(昭和58年)の、優駿賞・年度代表馬・最優秀父内国産馬などに選出されるなどの功績が認められ、1986年(昭和61年)には、顕彰馬にも選定されました。

ミスターシービーが、競走馬としてデビューしてから、30周年を、来年の11月6日で迎えようとしている今、天国で安らがに眠っている、グッドルッキングホース・ミスターシービーが、勝利を重ねた、15戦8勝の成績と、20年の生涯を、もう一度見つめて行こうと想い、願っています。

グッドルッキングホース・ミスターシービーの、さらなる、ご冥福を祈りたいと想い、願っています。
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by bouquetfragrance | 2011-08-23 22:51 | 往年の競走馬・種牡馬

アンライバルド 引退、種牡馬入り。

ネオユニヴァースと、バレークイーンの仔で、スプリングステークス・皐月賞など、4勝(重賞競走・2勝)の成績を残した、鹿毛の馬・アンライバルドが、屈腱炎再発から、現役を引退、8月18日付で登録を抹消され、1頭の現役競走馬が、往年の競走馬入りを果たしました。

アンライバルドは、2006年4月13日生まれ・ノーザンファーム(北海道・勇払郡・安平町・早来源武275番地)・生産の、鹿毛馬で、2008年10月26日・京都競馬場で行われた、メイクデビュー京都(サラ系2歳新馬戦)・1着で、競走馬デビューしました。

京都2歳ステークスで、初の敗戦を帰したものの、若駒ステークス・スプリングステークス・皐月賞など、重賞2勝を含む、4勝の成績を残しました。


その後、アンライバルドは勝ち星にも恵まれず、今年の5月28日に、京都競馬場で行われた、金鯱賞・5着を最後に、レースから遠ざかっていました。

9月10日に行われる、朝日チャレンジカップに向けて調整中の矢先、アンライバルドは、再度・屈腱炎を発症したのです。

馬主のサンデーレーシングは、2008年3月に、早来ホルスタイン市場で行われた、産地馬体検査を受検、同時に預託契約をかわしました、所属厩舎の栗東・友道康夫厩舎と、アンライバルドの今後の対応について協議した結果、これ以上の現役続行は困難となった為、引退を決め、8月18日付で、競走馬登録を抹消しました。

アンライバルドは、今後は、種牡馬として繋養生活を送る予定で、未定だった繋養先は、協議の結果、北海道・沙流郡・日高町・門別の、ブリーダーズスタリオンステーションに決まりました。

アンライバルドは、来年から、種牡馬として繋養生活を送ることになっている様で、ネオユニヴァースの代表産駒の、アンライバルドが、種牡馬として繋養生活を送って行くことを、願っています。
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by bouquetfragrance | 2011-08-22 18:53

マリアンデール・小倉の3歳未勝利戦で、5着に入る。

ぼくの大好きな馬の1頭で、ぼくのマイブログの由来にもなっております、マリアンデール(MARIANDEL=1985年・ドイツのコルデス氏が作出した、 薔薇の品種名・父・ハーツクライ・母・アルバローズ・毛色・鹿毛・牡・3歳・2008年2月18日生まれ・血統名・アルバローズの2008)が、昨日・小倉競馬場で行われた、サラ系3歳未勝利戦に、ゼッケン8番で出走しました。

惜しくも、アメイジングアスクに敗れてしまいましたが、5着に入り、初の掲示板にのり、賞金を獲得しました。

マリアンデールは、北海道・勇払郡・安平町・早来源武275番地の、ノーザンファームの生産になる、ハーツクライの初年度産駒の1頭で、2010年3月に早来ホルスタイン市場で行われた、産地馬体検査を受検、同時に、現在の所属厩舎・橋口弘次郎厩舎と預託契約をかわしました。

当初・2歳でのデビューをめざしたが、放牧成長も有り、2011年2月26日・阪神競馬場で行われた、メイクデビュー阪神(サラ系3歳新馬戦)・14着で、マリアンデールは競走馬デビューしました。

その後、しばらく放牧休養にあて、7月31日に、小倉競馬場で行われた、サラ系3歳未勝利戦では、8着に入る健闘を見せました。

その後、マリアンデールは再度・放牧休養をこなし、昨日・小倉競馬場で行われた、サラ系3歳未勝利戦で、5着に入り、待望の掲示板にのり、賞金を獲得しました。

今年の7月31日以来、久々の小倉競馬場での、レース参戦になり、5着に入って、初の賞金を獲得した、マリアンデール、次走は、1着をめざして、走ってほしいと願っています。

惜しくも、5着に終わったが、初めての掲示板にのり、賞金を獲得できてよかったね、次走は、1着をめざして行こうね。

なあ、大好きな、マリアンデール(MARIANDEL)、次走は、1着を目標に、走れ。
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by bouquetfragrance | 2011-08-22 18:04