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関水金属の創業者・加藤祐治さん、逝去から4年

Nゲージのパイオニア・株式会社・関水金属・代表取締役会長で創業者の加藤祐治さんが、2016年11月21日に88歳の米寿で逝去してから、4年を迎えました。

4年前の、2016年、当時・関水金属の創業者で、代表取締役会長であった、加藤祐治さんは、秋ぐらいから、体調を崩していて、東京都内の病院に入院し、療養生活を送っていました。

その頃・株式会社 関水金属では、3月10日に、1999年10月16日のオープン以来、大阪府・吹田市・豊津町12-15番地で、長く営業しておりました、ホビーセンターカトー・大阪店(関連会社の株式会社・ホビーセンターカトーが運営)が、午後17時00分を持って閉店し、難波の時代から長く営業しておりました、大阪での営業を終えて、京都市・下京区・東塩小路町901番地の、京都駅ビル・9階に移転し、KATO 京都駅店として、16日にオープンしたところでありました、この間・同年の6月28日には、フライホイール動力ユニット・DCCフレンドリーとした、ハイグレードモデルに一新された、165系800番台のトップを切って、飯田線シリーズ・165系800番台 急行「こまがね」4両セット(10-1334)と、急行「伊那」4両セット(10-1335)が同時新発売されたり、「KATO Nゲージ生誕50周年記念誌」(12月発売)の、編集作業を、株式会社 ネコパブリッシングに委託して行っていました。

「KATO Nゲージ生誕50周年記念誌」の校了完了の翌日の11月21日に、加藤祐治さんは、88歳の米寿で永眠・逝去され、1927年(昭和2年)12月3日に生まれてから、88年の生涯を終えました。

この年の11月28日に、KATO Nゲージ・飯田線シリーズとして、フライホイール動力ユニット・DCCフレンドリーを採用した、ハイグレードモデルにリニューアルされて発売された、80系300番台 飯田線(10-1384・4両セット 10-1385・6両セット)が遺作のモデルになりました。

あれから、4年が過ぎました。

ぼくが、1993年12月26日以降、Nゲージを再開するに当たり、採用して以来今日まで、KATO製品の虜として、KATO・Nゲージ完成品を愛用し今日に至るぼくにとって、1957年(昭和32年)8月に有限会社・関水金属彫工舎として設立された、株式会社・関水金属を、加藤祐治さんが2004年に代表取締役社長を退任し、息子で、株式会社・関水金属の現在の代表取締役社長である、加藤 浩さんに経営を譲るまで、加藤祐治さんが、CAM/CADシステムを日本の鉄道模型業界で初めて採用したり
関水金属を、世界で有数の総合鉄道模型メーカーに育て上げた、Nゲージのパイオニアとして、埼玉県の坂戸市・鶴ヶ島市の2カ所に、坂戸・埼玉工場を建設させるなど国内設計・国内制作によりNゲージ・HOゲージの完成品車両モデルを世に送り出した、KATO(株式会社・関水金属のブランド名)の精神が生きております。
今後とも、ぼくは、KATO製品をこよなく愛する人間として、更に愛用していこうと想い、願っております。

株式会社・関水金属・代表取締役会長で同社のブランド名ある、KATO(カトー)世界有数のNゲージ・HOゲージの完成品車両などを手がける総合鉄道模型メーカーに育て築き上げた、創業者で代表取締役会長の加藤祐治さんの更なるご冥福お祈りすると共に、心からお悔やみ申し上げます。
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by bouquetfragrance | 2020-11-26 21:17 | 鉄道模型(Nゲージ)
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